人として、プロとして成長を楽しめる仕事。 / 工事士 大出 純也 / 西部ガス設備工業 北九州

01野球人生からガスのプロへ

小学校から高校まで野球一筋。「将来のことは何も考えていなかった」と語る大出さん。就職を希望して、先生の紹介で履歴書を送ったのが工事士となるきっかけだった。

入社して、3ヵ月間の研修の後、官公庁関連の現場の工事を担当するようになった。小学校や中学校、警察署、消防署、市営住宅などの建設現場に、先輩と二人で向かった。道路からガス管を延ばし建物内部へ配管していく仕事だ。穴を掘る、ガス管を運ぶ、コンロなどのガス機器へつなぐ。もともと体を動かすのは好きだったから、仕事はすぐになじめた。職場の雰囲気も良く、先輩にも可愛がられた。

02初めての戸惑いとリベンジ

「ただ当時は、今思えば生意気だけど、先輩からあれして、これして、と言われるたびに『自分で考えて動けるのに』と内心不満だった。だから、早く認められたい、任せてもらいたい、とガムシャラに仕事をした」と振り返る。

その甲斐あって、入社3年目に大学の学生寮新築現場を一人で任された。忙しい時期で人手不足だったという理由もあったが、大抜擢だった。しかし、いざ現場に入ると、試練の連続だった。まず、知識も技術も「圧倒的に足りない」と気付いた。給排水工事、電気工事など、現場に集まる他業種の職人さんも、全員年上であり、「あいつ一人か」「大丈夫か」というプレッシャーを感じた。覚悟を決め、頭を使い、体を使い、全力で向き合った。なんとか無事に工事を終えた。後日、「あの若い人、すごかったな」と噂されるのを聞いたときは、嬉しかった。工事士として階段を一段、登った瞬間だった。

03やればやるほど成長を実感

「そこからは、現場へ行くたびに自分の経験が増え、成長できるのが楽しかった」と語る。様々な出会いや学びがあった。仕事の幅も広がった。穴を掘る、ガス管を運ぶといった力仕事も多いが「誰かがしなきゃいけない仕事」「必要な仕事」だと思った。ダッシュした後に座るな、といわれた野球部時代の練習のキツさに比べたら何でもなかった。「今日はきついな、という日もある。それでも、数字でいえば今日中に『5』まで進めないといけない仕事を『3』しかせずに帰れば、翌日は『7』の仕事が残る。それが重なると、仕事が回らなくなる。だからどんな日も『今日の仕事は今日中に』がモットー。気になるところがあれば、必ず解決して現場を出るから、今日はダメだった、と落ち込むこともない。自分でも、社会に出て、こんなに責任感が芽生えたことに驚く」と笑う。

04どんな相談にも応える自分へ

休日は、地元の友達と集まって飲みに行く。「今年はみんなで野球チームを作ろうと計画している」と楽しげに話す横顔は20代の若者らしいが、今後の目標を聞くと、またプロの表情になった。

「もっといろいろなことを学びたい。たとえば、戸建住宅の改修工事に行った先で、高齢のお客さまから『水漏れが気になる』『屋根のトタンがはがれた』と相談されることがある。わざわざ別に業者さんを呼ぶのも大変だろうと、そんなときは今の自分ができる範囲でみる。ここでもっと知識があれば、できることが増えると感じる。せっかく会社で支援してくれるので、今後は電気工事などの資格も取得したい」。

05後輩に背中で教えていく未来

また、自分が経験を積むほどに「先輩のすごさを改めて実感する場面も増えた」と語る。通常は1時間かかる作業を、完璧な準備と段取りをもとに30分で仕上げる先輩。他の業者さんとの接し方や指示の出し方にさすがだな、と感じさせる先輩。仕事にプライドを持ち、折れるところは折れるが、正しいと思うことは貫き通す先輩。「自分もいつか、後輩にそんな背中をみせたい」と願う。その先にはきっと、また嬉しい未来が待っている。

PRIVATE

  • 能古島にて

  • 宗像ホタルの里公園にて

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