蓋をとると、鼻をくすぐるふわっと優しい香り。黄金色の卵とやわらかく煮えた鶏肉、煮汁の美味しさを含んだごはんが三位一体になり、とろけるような口当たりがたまらない!
想像しただけで、「親子丼」が食べたくなりませんか?親子丼はみんな大好きな国民食。さあ、今回も腕を磨きましょう!

大切な人に作ってあげたいお腹も心も満たす「親子丼」

明治期に誕生し、100年以上に渡り愛され続けてきた親子丼。丼ものの中でも、親子丼はなんだか特別な温もり感がある気がします。忙しい日常の中で、パパッと早くお腹いっぱいになれるのに、その優しい味わいは、どこか癒し効果もあるような…。子どもからお年寄りまで、みんながホッとできる丼界最強の”癒し丼“、その魅力を探っていきましょう。



お殿様も江戸庶民も丼が大好きだった!?

 自宅でも気軽に作れ、蕎麦やうどん店、水炊き店、焼鳥店、食堂など、さまざまな店でも食べられる国民食、親子丼。最近ではコンビニエンスストアの親子丼も工夫され、レベルが高い!と人気となっています。
 そもそも丼とは、日本人の主食である米飯におかずを乗せたもの。つまり、日本初のワンプレートディッシュと呼べるかもしれません。もともと、ごはんとおかずを別々に食べていたものが、ひとつになっただけなのに、一緒に食べることで、1+1=2以上の美味しさを生むのが丼の魅力。煮汁やたれの味が染みたごはんと具材の渾然一体感は、丼でしか味わえないものです。 その歴史を紐解くと、室町時代に遡ります。この時代、ごはんの上に、煮たり焼いたりした野菜や魚を乗せ、汁をかけた「芳飯」という料理が誕生します。食べやすく見た目も美しいことから上流階級の間でトレンド食となったとか。江戸後期になると外食産業も発展。蕎麦・寿司・天ぷら屋などが増えていき、おかずの発展に伴って、天丼・鰻丼などの丼も誕生します。江戸末期に横浜港が開港すると牛肉文化も普及。すき焼きをご飯にかけた牛飯も庶民に愛されました。そして、いよいよ親子丼が誕生することになるのです。



馴染客の味わい方にヒントを得て誕生!

 親子丼発祥の店として知られているのは、東京・日本橋人形町にある鶏料理店「玉ひで」。宝暦十年(1760)創業という東京でも老舗中の老舗です。
 初代は将軍の御前で、血を見せずに鳥をさばき、熟練した包丁技を披露することを許された「御鷹匠」の家に生まれた山田鐡右衛門。特定の上客だけを対象にした軍鶏鍋屋を営みつつ、武家屋敷などで鳥料理を振る舞っていました。その後の1891年、五代目・山田秀吉が営んでいた際、馴染み客が軍鶏鍋の残りの割下に卵を入れてとじ、ご飯にすくって食べたのをきっかけに、妻・とくが考案したのが「親子丼」です。
 しかし、当時老舗としての矜持から、器ひとつで食べられる汁かけ飯のようなものを店のメニューとして出すわけにいかないということになり、親子丼は出前専用の料理としてスタートすることに。これがその頃、繁忙を極めていた魚河岸の人々の間で大好評となりました。店で提供されるようになったのは七代目になってからのことだそうです。


全国に広がり、各地で独自に発展。国民食に!

 「玉ひで」から全国に広がっていった親子丼。軍鶏と卵だけを使い、醤油とみりんを効かせた「玉ひで」の関東風の親子丼に対し、関西ではだしを効かせた薄味のものが多く、青ネギなどが使われることも多いとか。また、名古屋では旨味と甘味で知られる名古屋コーチンの肉と卵を使った親子丼が有名。博多では名物・水炊きのスープを使った親子丼も味わえます。美味しい鶏と卵があるところに、絶品の親子丼が生まれているというわけです。ちなみに北海道で親子丼といえば、鮭イクラ丼を思い浮かべる人が多いのだとか。
 多種多彩な丼あれど、親子丼の優しい味わいは格別。ほっとできて、癒される味わいを、自分のために、そして大切な人にも作ってあげてください。


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