「今夜はすき焼き!」と聞いて、思わず顔がほころぶ…、
日本人にとって「すき焼き」は至福のごちそうです。
自宅でも、外食でも、「すき焼き」は幸福感と贅沢感と満足感を同時に与えてくれ、肉も野菜もたっぷり味わえて栄養も満点!
新しい門出を祝う機会も多い春、みんなでハレの日の料理「すき焼き」を囲みませんか?



近代化とともに進化した われらが「すき焼き」!
「すき焼き」は西洋文化である肉食と、醤油と砂糖で調味をする日本の文化が融合した和食です。
その起源は幕末。横浜が開港し、衣食住、すべてにおいて日本人の暮らしが劇的に変わり始めた頃。
「すき焼き」は国の近代化を象徴する料理だったのです。

「すき焼き」の原点「牛鍋」が明治の世を席巻!
 飛鳥から明治時代に入る頃まで、日本では公的に肉食が禁止されていました。しかし、人々は猪肉=ぼたん、鹿肉=もみじなど、肉を隠語で呼び、「薬食い」と称して密かに食べていたそうです。
 黒船到来をきっかけに各地の港が開かれると、人々が西洋人の食に触れる機会も増え、徐々に肉食文化が浸透していきます。しかし、当時は食肉処理の技術も、スライサーもないため、牛肉は厚切りで多少臭みもあったのだとか。そんな厚切り肉を鉄鍋に並べ、濃厚な味噌をのせて煮たのが「牛鍋」。文久2年(1862)には横浜の居酒屋「伊勢熊」が牛鍋屋を開店。当時食べていたのは主に海外から仕入れた食用牛でした。しかし、国内での畜産も増え、居留地人口も増加したことから、元治2年(1865)、江戸幕府は食肉処理場を設立。多くの店もでき、牛鍋人気は益々加熱していきました。



明治天皇が食べてから肉食解禁!に
 明治5年(1872)、日本人の肉食文化にドラマチックな変化が訪れます。明治天皇が肉料理を食べたことで「肉食の禁」が解かれ、国中に肉食ブームが起こりました。
 実は「すき焼き」という料理名が誕生したのは関西。明治2年(1869)には神戸に肉鍋専門店「関門月下亭」が開店。開店から2年後には農具の鋤(すき)を鍋の代わりに使った肉料理を提供していたとか。関西では鉄鍋で肉を  焼き 、鍋の中で味付けするものを「すき焼き」と呼び、関東では牛肉の質の向上とともに味噌から醤油や砂糖などを合わせた「割り下」で 煮る  「牛鍋」が主流となっていきました。
 今のスタイルの「すき焼き」が広まるきっかけになったのは大正12年(1923)の関東大震災。関東の牛鍋屋が大打撃を受け、関西のすき焼き屋が進出したという話が伝わっています。肉を焼く関西の手法と、割り下で味をつける関東の調味法が融合して、現在の関東風のすき焼きが誕生したのです。


あの人も愛した「すき焼き」よ、永遠なれ!
 すき焼きは大まかに関西風・関東風に分かれますが、牛肉ではなく豚肉を使ったり、かまぼこや麩を入れるなど、各地方や家庭の味があります。また、この150年の間に、日本人は創意工夫を重ね、各地でブランド牛が誕生。その美味しさは世界が注目するほど。すき焼きは日本が世界に誇れる和食として進化し続けています。
 また、数々の有名人たちのすき焼きエピソードも多数残っています。福沢諭吉は肉食解禁前から牛肉をこよなく愛し、塾生たちとすき焼きを味わったのだとか。また、北大路魯山人は砂糖を使わないすき焼きを独自の作法で楽しんでいたそうです。永井荷風と谷崎潤一郎は終戦前日、疎開先でなんとか集めた素材ですき焼きを囲み、映画監督の小津安二郎は、撮影後にスタッフの労をねぎらうために、すき焼きをふるまったという話が残っています。
 これほど多くのエピソードが残るのも、日本人にとってすき焼きがずっと昔から「ハレの日の料理」だったからこそ。有名人でなくとも、すき焼きにまつわる思い出を持つ人は多いはず。今後、どんなすき焼き物語が生まれ、語り継がれていくのか、楽しみです。


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