オーブンの中からふつふつと煮立ちながらいい香りを漂わせる「グラタン」を取り出す時
ちょっと幸せな気持ちになるのはなぜでしょう?
「グラタン」は少し手間がかかりますがその分、家族への愛情が感じられる料理のように思えます。
寒くなってくるこれからの時期、ハフハフしながら家族一緒に、熱々の「グラタン」を味わいましょう。

非日常のフランス料理から国民食となった「グラタン」。

「グラタン」は日本人に馴染みの深いメニューですが、実は歴としたフランス料理。
多少手間暇がかかる分、作り手の愛情もより伝わるような気がします。
明治から平成、そして次の時代へ。
どの時代にも日本で愛され続ける普遍の人気メニュー「グラタン」。
「グラタン」はどこで生まれ、どうやって伝わったのでしょうか?



偶然の産物として誕生した「グラタン」

 「グラタン(Le gratin)」は、鍋にこびりついた「おこげ」や「こげ目をつける」という意味のフランス語です。もともとは「掻き取る」「ひっかく」という動詞「gratter」に由来し、フランス南部、イタリアにほど近いサヴォワ・ドーフィネ地方で、失敗した焼き料理のおこげが美味しかったという偶然から「グラタン」が誕生したと伝わっています(マカロニを使ったのも土地柄かもしれません)。それが転じて19世紀以降、料理の表面に焦げ目をつける調理法と出来上がった料理そのものをフランスで「グラタン」と呼ぶように。日本では「グラタン」といえば、ベシャメルソースを使ったマカロニグラタンが主流ですが、もともとは、この調理法を用いた料理はすべて「グラタン」なのです。そんな「グラタン」はいつ日本に伝わってきたのでしょうか?



開国後、憧れの国から日本へ

 明治維新後、日本が近代化を目指す上で、お手本としたのがフランス。政治・法律・経済はもちろん、文学や芸術の分野でも数多くのフランス作品が日本に紹介され、多くの作家たちに影響を与えました。料理界においても、開国以降、日本にはドイツ・フランス・イギリスなどの料理が伝わっていましたが、公的な場面で提供されたのはフランス料理。かの「鹿鳴館」で提供されたのもフランス料理のコース料理でした。次々にオープンするホテルや西洋料理店でシェフたちは腕をふるい、渡仏して本場のフランス料理を学ぶ料理人も。「天皇の料理番」として知られる秋山徳蔵氏もそのひとりでした。

フランスの「グラタン」が日本で「ドリア」へと発展

 日本にフランス料理が伝わって以降、「グラタン」も徐々に人気に。大正時代に発行された料理本にもチーズをかけて焼く「グラタンの作り方」が紹介されています。そして、昭和に入った頃、「グラタン」を発展させる形で、日本で「ドリア」が誕生します。
 時は昭和5年ごろ。場所は数々の日本独自の洋食メニューを誕生させた横浜の「ホテルニューグランド」でした。当時の横浜港は日本の玄関口。訪日外国人が降り立つ横浜を象徴するこのホテルの開業時に、初代料理長としてパリの星付きホテルから招かれたのがサリー・ワイル氏。彼はある日、宿泊していた銀行家が体調を崩したことから、何か喉の通りがいいものを食べさせてあげたいと考え、バターライスの上に当時流行していた小海老のクリーム煮をのせ、グラタンソースをかけて焼き上げたものを提供。すると、これが評判に。その後、弟子たちによって他のホテルやレストランでも提供され、人気が広がっていきました。
 フランスで生まれ、日本で家庭料理として親しまれるほどになった「グラタン」や「ドリア」。明治から平成へ、4つの時代を駆け抜けた味を、次の時代にも受け継ぎたいものです。